あゝとに熱く!法曹関係者よ、市民派どもよ、国民を甘やかすな(考察シリーズ)

 法曹関係者よ、市民派どもよ、国民を甘やかすな(考察シリーズ)

 例の、練炭殺人の女性容疑者について死刑の判決が下った。当たり前だ。市民派というか、反権威派というか、個人の権利の絶対尊重派というか、端的に言えば、左翼の弁護士さんは控訴した。

 「学者でもなく、文章を売ってもいない、市井人の不肖、今唐加太朗」は、弁護士さんが犯罪人を弁護するのは当然であるが、彼等は往々にして上に書いたような特性を帯びており、残念ながらこれが「モダン」の傾向であると考えている。

 偉大な噺家、林家三平師匠の愛嬢、泰葉さんのキャッチコピーをもじったが「金髪でない馬鹿な豚野郎のメデイア」もそれをもてはやすから困ったものなのだ。日本人がますます柔(やわ)になってしまう。日本人は大東亜戦争中は、いささか、行き過ぎの面もあったが、剛毅な国民であった。

 国のためには、国ということが駄目だと云うのなら、家族や郷土の為には死をも厭わなかった。

 NHKまでもがアンケートを行なってそれを助長する。早速、左翼の法曹団体は司法への国民参加に反対の声を上げたり、改正の声を上げている。

 兎角、左翼の連中は国民の関心があるところの隙間を狙って、直ぐ食いついてくるのである。まるで、大阪市長の橋下さんのようである。と言うよりは、彼がそれをまねているのであろう。そして、日本国の進むべき方向を捻じ曲げ、「ポストモダーン」への脱却を妨げる。

 余談だが、最近の彼の軽佻浮薄な言動は目に余るものがあり、独裁者か、小人、かの枕詞を設定しようかと迷っている。その際は、その理由をこのブログで、極悪人小沢氏と同様に明らかにします。今、何故、予断に走ったか、と考えたが、そうである、彼が茶髪の弁護士であったからだ。

 さて、本題だが、もの事を決定する時は「心を痛める、心理的負担があったり、迷ったり」することは当然ではないか。のほほんと気楽に裁判に参加するというのか。

 これが当たり前の道理・真理である。彼等は国民として、その常識で真剣に考えて「陪審」に参加したらそれで良いのである。それが、この陪審制度の核心部分である。裁判官の「専門馬鹿」を正すのがこの制度の核心部分だ。

 柔になった国民とは言え、その辺の矜持はまだまだ充分に残っている、と不肖、今唐は確信しているのだ。

 余り、バカなことばかりやって、国民を甘やかすと、その内、陪審に参加したのでPTSDになったから「補償せよ(つまり金よこせ)」の訴訟が始まるであろう。

 (この項おわり)

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