ああとに熱く! 裁判員制度スタートにあたり(提言シリーズ)

    裁判員制度スタートにあたり(提言シリーズ)

 今日から裁判員制度がスタートする。

 「金髪でない、馬鹿な豚野郎の放送メデイア」の動向を見ていたが、報道に取り上げられた当初は、反対の傾向が強く、一斉に、なにも考えにずに、口裏を合わせたように、反対の声を上げる「似非まとめ症候群」に陥りそうな様相であったものの、罹患は避けられたようである。

 学者でもなく、文章を売ってもいない、市井人の不肖、今唐加太朗も安心した。

 「金髪でない馬鹿な、豚野郎の放送メデイア」が常に取り上げる被害者の嘆きや被疑者に対する応報の念が原因で、「似非まとめ症候群」に陥らずにすんだのであろうと考える。

 参加する一般人、寅さんの言う労働者階級からは、法律を知らないことからの一般的不安、また、死刑を宣告するときの不安感、人の死を決定することへの危惧、おびえ、などの発言が多く聞かれた。

 もっともであると考える。しかし、一般人よ、寅さんの言う労働者階級よ「びびる」必要はないのである。

 「専門馬鹿」と言う言葉がある。「木を見て森を見ず」と言う言葉がある。また「法匪」と言う言葉もある。そして、思想的偏見を持った裁判官が潜り込んでもいる。裁判所などたいしたことはないのである。

 一般人つまり寅さんの言う労働者階級の知恵には強い力があるのだ。また、その力は、真理に適合してもいる。だから、普通に、だが、真剣に考えたらそれでよいのである。

 トルストイやドストエフスキーが、人間の死についてどう語っていようと問題ではない。日本人のほとんどは「多神教信者」なのである。

 まともな人の子であれば、これからは、「父や母の介護」は必然である。他人の死に「びくびく」してなどいられない。時には、父、母にその死を宣告しなければならないこともあるのだ。

 但し、時には、人間は必ず死を迎えなければならないのに、「人間の命至上主義者」は、後期高齢者の医療費を膨大に使うこともある。
 
 ともあれ、父や母が臨終の時には必ず呼ばれ、それが2度、3度のこともある。実務上、担当医はやむを得ず質問する。「どうしますか」。そして、そのことを決断しなければならないのである。

 この制度では、裁判官の専門的知識や 「金髪でない馬鹿な、豚野郎のメデイア」の意見が求められているのではない。不肖今唐のような一般人、寅さんの言う労働者階級の意見が求められているのである。そして、それは、結果として公平で真理に合致しているのである。(この項終わり)
 

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