あゝとにあつく!「小池百合子現象」と政治的空虚な理念(考察シリーズ、ツイッター風ブログ)

あゝとにあつく!「小池百合子現象」と政治的空虚な理念(考察シリーズ、ツイッター風ブログ)

 このブログで「ポリティカル・コレクトネス・政治的妥当性(PC)」について書いた。この言葉のもつ意味を正しく書いていなかった。その意味は、曽野綾子女史が見事に表現していてくれていた。12月7日の産経紙「透明な歳月」にである。

 曽野綾子女史は、教えられたとも書いているのだが、つまり、「政治的空虚」な、理念、言葉、行動などの政治的見地から見た正しさは、表面的なものだ、と看破している。

 不肖、今唐加太朗が具体的に書いて見る。人物的には、「朝日・毎日人」などの一部左翼集団、共産党、社民党などの改憲反対派の人々などである。

 今の日本では、平和の維持、人類愛、民主主義の実現、穏健な政治的手法であることが、メディアや蒙昧な大部分の大衆から支持されているのである。これが、「ポリティカル・コレクトネス・政治的妥当性(PC)」なのである。

 上のようなことは嘘パチであると気付いている覚醒された大衆が4000人も小池百合子女史の「希望塾」に集まって来たのである。

 この前の記事に書いたが小池百合子女史は、心して、希望塾を運営し塾生もリードして下さい。つまりは、本当の意味の政治家の有り方についてである。

 (終わります、ご機嫌よう、さようなら)

 

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