あゝとにあつく!僕の彼女は有名女優似の楽しい人だ、その3(文学シリーズ、ブログ)

あゝとにあつく!僕の彼女は有名女優似の楽しい人だ、その3(文学シリーズ、ブログ)

 僕の精神年齢は、高校を卒業したばかりなのです。そして、多分、僕の彼女はお母さんに似ているのに違いないのです。だって、愛しい人がぎゅっと抱きしめてくれると無上の喜びと快楽を味わうことが出来るからです。

 僕のお母さんは大東亜戦争の終わりの頃にアメリカの細菌爆撃で死んでしまったのです。

 夏の熱い日、空襲警報がなって白い飛行機雲が何筋も山の端(は)に消えた後、「爆撃かと思っていたが、爆弾ではなく「ブリキ缶」をアメリカは落としていった」との噂が忽(たちま)ち町の中を走り抜けたのです。

 僕の家の左後ろにはS病院といって入院病棟を備えた当時としては大きな病院があったのです。そのうち、チフスが大発生して入院病棟の廊下にもチフス患者であふれかえったのです。

 病院の先生は支那事変が始まって陸軍の軍医として従軍していたのですがいつの間にか帰ってきておりました。

 そして、母とその妹の僕の叔母さんも二人並んで床についておりました。当然、家が病院の隣ですから入院はしなくて良かったのです。3人姉妹の一番下の叔母さんは不思議に元気で二人の姉に、便所に起きたら駄目、と注意している言葉が記憶に残っています。

 母も下の叔母さんも、直ぐ、亡くなってしまい、チフス騒ぎも終焉したのですが、まもなく、白い街道を日本軍の戦車が4、5台、富士山の裾野の方向に走り去って、その後で、日本はアメリカとの戦争に負けたのでした。

 その後、間もなく、駐留軍が役場に来てるぞ、との声が街中を走り、小学校に入学する為に、亡くなった母が作ってくれたズックの下げ鞄を肩から提げて遊ぶのが日課であった僕は、町の役場に駆けつけたのです。角ばった「十輪車」が役場の空き地に止まっており、僕は窓から役場の中を窓から覗こうとしたのですが、門のところでやって来た「ジープ」に危うくはねられそうになったのです。

 飛び降りてきたアメリカ兵が何か叫びながら、僕を抱きかかえるようにして支えてくれたのです。僕は思わず手を振りほどいてその場から逃げ去ったのです。

 後から考えて、アメリカは「自動車社会」に、入っており、既に、交通事故のわずらわしさを十分知っており、また、役場に来た目的は「細菌作戦」の成果を確認しに来たに違いない、と思っていたのです。

 思わず、僕は愛しい人にかこつけて母や当時の時代の思い出を書いてしまいましたが、やはり、愛しい人が母親似であることがそうさせたのです。僕にとって、つまり男にとって、母親とは至高(しこう)の愛しい人に違いないのです。

 (続く、ご機嫌よう)

 

 

 

 

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