四度目の北朝鮮の核実験に対する米紙の評論その2(考察シリーズ)

四度目の北朝鮮の核実験に対する米紙の評論その2(考察シリーズ)

今日(1月19日)、あるジャーナリストが北朝鮮の4回目の核実験について書いている評論を読んだ。何かが抜け落ちているのである。その原因は、やはり、70年前の大東亜戦争に敗れたときに植えつけられた「被虐歴史認識」なのであろう、と考えた。

 そして、日本の防衛は、現実味のない相変わらずの「現憲法の平和主義」に委(ゆだ)ねようとする、つまり、憲法を遵守する口先だけの平和主義で日本の防衛は可能であるとの非現実的論理に満ち溢れているのである。

 具体論で言えば、日本を防衛するとの観点が抜け落ちているのである。そして、十分ではなさそうではあるが北、朝鮮の核武装を如何にして排除するかとの観点もないのである。増してや、あらゆる可能性を踏まえた対策もないのだ。

 不肖、今唐加太朗はこのブログの記事で「日本も核武装すべきである」と書いている。核を抑止するのは核でしかないからである。軟弱な、薄っぺらな、平和論から、日本人はそろそろ脱却するべきなのである。もう一度、繰り返すが「被虐史観の平和論」から脱却するべきなのである。

 (終わります、さようなら、ご機嫌よう)

 

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