あゝとに熱く!S氏の映画鑑賞、ジエームスディーンの理由なき反抗(2)(文学、ショートシリーズ)

 S氏の映画鑑賞、ジエームスディーンの理由なき反抗(2)(文学、ショートシリーズ)

 S氏は犯罪統計を調べた訳ではないのだが、今の日本は子供が父親や母親を殺し、また逆の場合の事件が多いように思い、しばしば溜息を付くのである。そして、その原因は父親や母親に威厳がないから子供は親を平気で殺すのであろうと、ここまで考えて、S氏はなんだか、昔の武士の家族の話のようだが、マアいいやと直ぐ妥協した。

 それにと、考えて、時には立派な若者も居るには居るが、大方の若者は暴虐無人、つまり、人目を気にせずに思いのままに振る舞うこと、であれば良いのだが、他人の迷惑に気が付かないのである。誰に教えらなくても、このようなことは当たり前のことであろう、と思い、S氏は、腹が立ってきたのであるが、また併せて、細君の常々の注意も思い出したのである。

 あなたは年寄りですから、もうそのようなことはどうでもいいのです。いらぬ注意は止めて下さいね、との言葉である。S氏は常々柔道三段、剣道二段であると威張っており、内心ではそこらの若者に負けるわけがない、と考えているのである。そして、秘かに、細君の注意は私を思ってのことではない、誰にでもある自己中心的な性格から、自身にその波紋が及ぶことを恐れているのであると、分析しているのである。

 だが、彼等については、もう一つ教育の面での欠略が原因でもあると考え、教える方にそのような人間としての基本部分が抜け落ちていたら生徒も気が付く筈はないのであるとも考え、若い頃の細君の話も思い出したのである。

 S氏は若い頃、団地の1階に住んでおり、2階に住んでいた知り合いのところに教師の奥さんが遊びに来ていて気分が悪くなり、都合があって、細君が暫くの間の休養する場所の提供をを頼まれたのである。、ところが、やってきた先生はづかづかと玄関から部屋に侵入すると、自分の妻にお前は何をしてるのや、と一言叱責しそのまま、彼の妻を拉致したそうである。

 学校の先生なんてそんなもんよ、とことあるごとに聞かされて、この事については、S氏は死ぬまで忘れはしないと思っているのである、

 S氏はついでに、その2階の主人の話も思い出したのである。細君が小さなゴミ箱を置いて玄関先と前後の階段を掃除をしていると、先のとがった靴先が現れてゴミ箱を蹴飛ばしたが、その犯人は、奥さん貴方がこのようなところにゴミ箱をおくことが原因ですよ、とそのまま、出勤して行ったそうで、この話も続編で良く聴くのでこれも死ぬまでS氏は忘れないであろう。

 そして、この話は30年ぐらいの前の話なのに、Sはやっと、それで2階に気分が悪くなった奥さんが来ていた理由に、今、気が付いたのである。

 今の若者達の様子を見ると、今でも教師の間には、そんな伝統とは言いたくはないものが、恐らく連綿として続いているのであろう、とも考えたのである。

 さて、ジミーの話であるが、チキンレースを悪がき連中のリーダーから挑まれて、いかにも知っているようにジミーは了承するのである。チキンレースとは、卑怯者レース、度胸ためしレースで、盗んだ自動車で崖に向かって走り、どちらが先に逃げ出すかを競うのである。そしてスタートの合図は悪がき連中のリーダー、親分の彼女が行なうのである。

 彼女とジミーとの最初の出会いは、彼女が夜間徘徊で保護された警察署で出会い、恋の訪れであろうが、ジミーはしばしば彼女の顔を盗み見るなど強い興味を示したが、彼女はそれに気付づかなかったのである。だが、親子共々参加するあるパーテイーで、再び 出会い彼女はジミーが卑怯者でないと感じ、かすかな情を交わす仲になっていたのである。

 悪がきのリーダーはチキンレースの前にジミーが好きだからやるのだと告げていたが、残念だが彼の皮ジャンバーの袖がドアーを開けるノブに引っ掛けてしまい崖から海に飛び込んでしまうのである。ここからがいかにもアメリカ的だ、とS氏は思ったのだ。

 悪がきグループは警察の例の刑事が調べているのだが、当然だが、仲間の仁義を守り自供した様子は無いのである。ところが、刑事に話そうと警察にやってきたジミーと玄関先で出会ってしまい、チキンレースの連中からは 裏切り者ととられて彼等から付け狙われるのである。

 ジミーは既に、リダーの態度からも仲間の一員であるとは認められているべきなのだが、リーダーが死んでしまったこともあり、残された悪がきはそうではないのである。一応、グループ内に取り込まれて居たジミーは、その規約を破ってしまったので、あくまでも彼等にとっての敵になってしまたのだ、とS氏は理解したのである。

 その事を察知した「坊や」は家から拳銃を持ち出しジミーと彼女と三人で立ち向かうのである。そして、三人の隠れ家で、悪がき仲間の一人を殺してしまい、例の刑事に三人とも逮捕されてしまうのである。

 さて、と再びか三度目なのか、S氏は思ったのだ。

 今の日本は家族の連帯が薄れてしまったのでなかろうかと。それは、日本もアメリカ同様に、良かれ悪しかれ「文明」が進んでしまったので、情緒や阿吽の呼吸による個人間や周囲の人々とのやり取りが薄れ、社会的にも利己の空気に支配され、悪くはないのだが、個人主義的やり取りや契約社会の方向に進み、日本伝統の、空気による支配、からは脱却して行っているのあろうと、大層ではあるがこの映画から感じたのである。

 そして、S氏はチキンレースの画面などから、やっぱり、一度この映画は見ていると記憶を呼び起こしたのである。

 (おわり)

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