あゝとに熱く!イスラムの悪しき兄弟(文学シリーズ、ショート)

 イスラムの悪しき兄弟(文学シリーズ、ショート)

 イスラムと言ってもペルシャとアラブとは違うように思う。日本人にとってはペルシャの方が昔交流もあって姿などもすぐに想像が出来る。今回のボストンのテロはチェチェンの人であるから、トルコ、ペルシャの方で良いのだろう。

 チェチェンと言えば、共産主義、ソ連邦のスターリンによる強制移住など悲惨な歴史があり、主として、ソ連邦に付くか独立するかなどで複雑な抗争があってこれも悲劇であった。

 日本人も単一人種のように考えてしまうが、所謂、古代から戦国時代においても、悲惨と言うか残虐な部族抗争も経験して、今の日本人として落ち着いているのであろうが、イスラムの人々はこのような経緯が飛んでしまって、今の時代に、日本でいう戦国時代のような部族抗争をしているのであろう。

 そして、この兄弟は、今のところアラブに渡航したことも伝えられておらず、10年間もアメリカに滞在していて、二人とも大学生であるようだが、どのようにして、「イスラムの大儀」、に目覚めたのか興味があるのである。当初、弟は兄に引っ張られていたと思っていたが、二人ともイスラムの教えの信奉者のようで、ネットの世界に発信もしていたようである。

 二人は、毎日3度の礼拝もしていたのであろうか、弟の方は生き残っているようであるので、こんご両名が如何にして、「アラブの大儀に目覚めたのか」、判明するであろうが、学者でもなく、文章を売ってもいない、市井人の不肖、今唐加太朗は、実に興味があるのである。爆弾のセットのなどは幼稚で、あっけらかんとしていて小学生のようであるし、まるで捕まることを予め覚悟していたようにも思える。

 学校における銃の乱射犯人のようでもある。「アラブの大儀」と言う表現を使ったがそんな大層なテーマで二人は犯行を行なったのではなく、銃の乱射犯人と同様な、幼稚な、精神的に、薄弱的な訳のわからぬ動機で犯行を企てたのであるかもしれない。また、ひょとするとボストンには死刑制度は無いのかも知れない。

 アメリカに居住する若者2名が、何かの契機で自己のアイデンティティーに目覚め大量殺人をも厭わぬ悪しき行為を敢行したことはアメリカ社会の病理を何か象徴しているのかもしれないのである。

 4月20日の産経紙夕刊が、署名記事であるが、伝えている。弟の逮捕に、USA、ブラボー、正義が勝った、など、ボストン市警のツイッターに書きこみがあるそうだ。また単なる幼稚な残虐な「テロ犯人」の逮捕であるのに、産経紙自身も社会面であるが、正義が勝った、住民ら歓声、とまるで見ていたような大見出しを打っているのである。なんだか、ピントが外れているようにも思う。

 また、兄弟の叔父の談話を伝えているが、事件の発生は恥ずべきこと、働きづめの叔父の兄弟がそのようにしたのではなく、何者かが兄弟をそのようにした、イスラム教と絡めるのは間違いだ、また、アメリカは理想的な場所で人間として扱ってもらえるこの国を尊敬している、などと語った、としているのだが、これも、ピントが外れているような気がするのである。

 つまり、非常に乱暴な言い方をすれば、どのように悲惨であっても、人殺しがあっても、良い意味ではないが他の近代的な国々がこの抗争にいらぬ節介をすることは間違っているのではなかろうか。石油などの富を一部の特権階級が独占して海外の銀行にため込んでいてけしからん、といっても、日本でも昔はそうであったし、今、その傾向が芽生えているが、欧米などは大昔から近代まで富の偏在は確実に存在して来たのである。

 (おわり)

この記事へのコメント

2013年04月21日 18:46
貴方にだけは知って頂きたいのです。

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