あゝとに熱く!JR西日本の事故無罪判決は不当である(考察シリーズ)

 JR西日本の事故無罪判決は不当である(考察シリーズ)

 遺族が判決後、一つ、このような大きな事故を起こしたのに、二つ、このような判決ではJRのみならず鉄道会社の役員などが事故防止に気をつけてくれない、三つ、亡くなった者に説明で出来ない、などのコメントを出していた。三つ目は、兎も角として、一、二は、この事故の判決の判断には、直接、関係ない。

 とは云っても、民間人の考え方、あるいは国民世論、正しくは条理によって判断せよが、この罪に対する、最高裁判所の基本である。

 したがって、「学者でもなく、文章を売ってもいない、市井人の不肖、今唐加太朗」であるが、巷の法学者でもある不肖、今唐が産経紙(1月12日)の「主な争点と裁判所の判断」によって考察する。
 
 その一つ、事故の予見可能性であるが、このことは、誰でもが、「危ないなあ」と思えるのかどうか、つまり、先に書いた条理としてそのように思えるのかどうかである。

 事故の場所は、カーブが半減されている(急になった)のである。危ないな、とは誰でもが思う。函館線でも同じような事故があってJR西も検討会議をした。これが検察庁である。

 弁護士さんは、この場合の事故は運転者がスピードを出しすぎたから事故になった。カーブのせいではない。それは、そのとおりであるが、他にも防止する手立てがあったのではないかがこの裁判なのである。函館線の事故については、山崎社長はカーブが原因だと考えていなかったそうだ。まあなんと、JR西の事故対策本部長は出来が悪いのであろうか、ぬけぬけとよく言うよ。

 これは、恐らく検察庁の取調べでは、関連性を認めていたのであろう。不肖、今唐の独断だが。遺族のコメントの三つは全ての裁判を傍聴し、A4ノートに9冊も記録した、遺族のコメントであるが、不肖、今唐はその気持ちは良くわかるのである。

 さて、裁判所の裁判官殿は半径の変化は危険性に影響を与えない、と云っているが、カーブが急になれば低い速度でも転覆するのに、良く言うよ。函館線の事故は「様相がちがう」といっているようだ。この意味が良くわからない。函館線でもスピードは出ていたのだろうから、その原因などの様相が違うということか。

 その二つ、結果回避義務、これは、山崎事故対策本部長がATSを付けられたか、つけるべきであったか、と言うことだ。検察庁はこんな急なカーブだからつけるべきであった。弁護士さんは、鉄道業界には当時、カーブでの脱線事故の危険性の認識はなく、ホンマかいな、不肖、今唐には、カーブに付けられているATSもある、との当時の報道の記憶がある。ATSの設置の義務は無かった、つまり、法的には、ということであろう。

 さて、裁判官殿は、ATS設置の法的な義務は無かった。当たり前だ、「世の中のすべての物事の条理」が法律で決まっている筈は無い。大規模鉄道事業者の行動基準からは逸脱していない、とする。「大規模」との制約、限定をした意味は何であろうか、金が掛かりすぎる、カーブの場所が多すぎるという意味か、このようなことは犯罪の成否に、斟酌する必要はさらさらないのである。誰でもが危ないと、考え得るのであれば、つまり、条理からもつけるべきであれば、ATSはつけるべきなのである。

 付け始めたが、上の斟酌点から、未だであったという場合であるのならば、情状の上での理由と言うことだ。つまり、無罪の根拠にはならないのだ。裁判官殿もどっかがずれている。

 その三つ、調書の信用性について、裁判所は犯罪の成否に関係ないから信用性の判断は示さない、としている、であるから、判決がずれてしまったのであるろう。

 JRの弁護士さんはどこかで見た顔だと思ったら、例の、検察庁からみの裁判の、不肖、今唐の独断だが、「反権力志向の強い」弁護士さんであったのだ。ひょとすると裁判官も同様の人なのだろうか。巷の法学者の不肖、今唐はそんな気がするのである。

 検察庁しっかりして下さいよ。「特捜検がらみの事件の判決の流れ」に見事乗っていますよ。産経さんが、「調書の信用性」などと、得意の一覧表に項目を立てるのですから。

 (この項おわり)

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