「原発廃絶」の真の意味について(考察シリーズ)

 「原発廃絶」の真の意味について(考察シリーズ)

 大東亜戦争敗戦後の、少し短いが、60数年の歴史の中で、確かに、今回の福島原発の事故は日本民族にとって世界史に残る屈辱的な出来事であった。何故なら日本民族の人災の事故であったからだ。

 ロシアによる北方4島の不法な占拠に匹敵するほどの屈辱的な出来事であった。だからと云って原発廃絶jに進んで良いであろうか。よくよく考えなければならないのだ。

 今のところ、イタリア、スイス、ドイツが廃絶の方向に舵を切った。だが、フランス、アメリカ、イギリス、中国、インド及びカナダなどは推進するといっている。

 日本が廃絶に向かえばかっての枢軸国は全べて廃絶に向かうが、そんな呑気なことを言ってお茶を濁してはならない。ヨーロッパは別物だ。フランスが原発大国で控えているのである。ユーロという統一した通貨を持つフランスが原発大国で控えているのだ。

 江戸幕府の日本に例えれば、福井藩や福島藩が原発推進藩で控えていると考えたら良いであろう。その他の藩はそこからいつでも電気を融通してもらえるのである。

 推進派の中国、アメリカ、インドは日本国のお隣さんだ。人口や国の勢いから云えば、「これからの国」であり、特に中国とアメリカは覇権を担うことを国是としている国なのである。インドでもいっぱしの覇権国といってもよい。

 つまり、原発は危険ではあるが、これまでの蓄積された資金や技術により、持続することによる経済的なメリットは非常に大きいのである。

 つまり、結論であるが、原発廃絶は「チジミ思考国家」で生きるのか、それは、比較にはならないがスイス的な国家で生きるか、日本民族としての矜持を持った国とするのか、の選択なのである。比較にならないと書いたが、スイスのほうが国家としては矜持を持った国という、意味で書いたのである。

 スイスは永世中立国家であり国民皆兵の国家であるからだ。だが、日本には防衛戦争まで否定する輩が未だに掃いて捨てるほどいるのである。

 大東亜戦争については、異論はあるであろうが、大東亜の覇者として日本は戦い、乾坤一擲敗れ去ったが、兎に角、アジア諸国の独立を果たすことには寄与した。

 大変、大げさなようであるが、このような国としてして生きるのか、現状では、及びも付かないがスイスのような国として生きるのかの選択なのである。つまり、大東亜戦争後の始めての日本国の意思決定・選択が迫られているのである。

 日本は未だにアメリカのポチであるが、その上に中国のポチとしても生きるのか、の選択なのである。今度こそ、日本人は心しなければならないのである。「学者でもなく、文章を売ってもいない、市井人の不肖、今唐加太朗」は老骨であり、発言の比重は軽いが「日本民族としての矜持を持てる国」であって欲しいのである。

 (この項おわり)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック