ああとにあつく!愛しい女(1)(文学シリーズ ショート(23))
愛しい女(1)(文学シリーズ ショート(23))
序章
一発のこもった銃声が響いた。暗い海の浜辺に打ち付けられた波がかすかに白い。銃声の後、三人の男が無言のまま走り、一人が先に、二人が倒れた男の腕をそれぞれ掴み、先に走る男の後を追った。三人の男達の姿はたちまち浜辺の海の闇のなかに消えた。
あたいはめったに股など開きはしないの。少女のころ、15のときに、暴走族に回された。その酷い経験から、セックスなどこりごり、思い出したくもないの、今でも、時々、手首を切りたくなる。だけど時には股を開く。それは、男として素敵な人だけ。あたいの感性は間違っていないと思う。
起章
喫茶店は無口な独り者の男がやっている。めったに喋りはしない。女が一人座っていたが、後から、女の連れの弟がやって来て、これも黙って女の向かいの席に座った。独り者の男は思った。二人は誰かを待っているようだ。男が、弟のコーヒーを運ぶと、「錠二もくるのか」と聞いた。「そうなの」と女が見上げて微笑みながら男に言った。男はその笑顔にいつも癒されている。
あたい、田舎から横浜に出て、先輩のお姉さんが好きだったこともあって、何時しかコーヒーが好きになった。食事やお酒の後にこの琥珀色の飲みものは欠かせない。錠二の弟のブルーマウンテンの匂いが漂ってきて、素敵と思った。錠二とこの街に来て、1ヶ月が経つだろうか。錠二も同級生のマスターも弟もいい男だと思っている。
承章
やってきた弟は思っている。兄貴はいい女を掴んだもんだと、俺も、こんな女なら結婚して何時まも一緒に暮らしたい、と。弟は女に言った、「兄ちゃんになにかあったのだろうか」、昨夜、電話があってここで待つように言われた、と。女は、錠二から頼まれていた茶封筒を弟に渡した。女は封筒の中の物を知っていた。通帳と印鑑と読んではいないが書置きだ。
あたいも何にか気がかりだ、この1ヶ月本当に幸せだった。なんだろう。私にも通帳と印鑑が渡され、通帳の金額は半端なものではなかった。そして、名義はあたいの本名になっていたのだ。そして、街を出るつもりで、この喫茶店、「荒波」で待て、との書置きだあったのだ。昨夜は錠二とのことで我を忘れて、朝、目覚めると錠二は部屋に居なかったのだ。
転章
弟は再び言った。「兄ちゃんになにかあったのだろうか」と、通帳を見てびっくりして、女の顔を思わず見た。その後、書置きを見ると、「マスター後から時計をもってくるからね」、とも言った。男は「形見みたいな言い方をするな」、と言ったが、なにやら納得し、うなずいて、ブランデーコップに磨きを入れていた。女は愉快な笑い声を立てた。弟は女にそっと言った。「部屋のものは俺が始末するから」と。
あたいも、笑っている場合ではない。何か気がかりだ。錠二のことは深くは知らないが、初めてではないにしても、あたいを心から愛してくれていた筈だ。間違いない。PTSD持ちのあたいの感性が、許したのだから。錠二は本当の男なのだ。錠二とあたいのこの街の1ヶ月は、男と女が本当に愛し合った確かな1ヶ月なのだ。あたいの幼いころのあのことの経験の後は、男についての感性は用心深くいつも研ぎ澄まされいる。
結章
暗闇の浜辺で先に走っていた一人の男は、ボートを手繰り寄せると二人が来るのを待った。ボートの中にはコンクリートブロックや針金などが用意されていた。異様なほどに幾つものコンクリートブロックがくくりつけられた男の死体が船べりまで押し上げられ黒い海に捨てられた。「野郎の車のキーは持っているな」男の一人が確認した。しばらくすると海岸まで迫っている松林の中で車が燃え上がり、別の1台の車が走り去った。
あたい横浜まで帰ったの。お姉さんに頼んで、また、バックダンサーでの毎日を過ごしている。「馬鹿ね、だから言ったでしょ、あんな男に引っかかって」とお姉さんは言ったが、あたいをよろこんで迎えてくれた。お姉さんは踊り子というよりは、才能豊かな振り付のアーテストだ。だが、男運に恵まれていない。そして、あたいの方が、男の胡散臭さをかぎ分ける感性は確かだ。
終章
弟が横浜まで尋ねて来て女に言った。「お兄ちゃんの車が新宿の歌舞伎町で見つかった」のだと。女は、昼の舞台が跳ねた幕間の時間を利用して劇場近くの喫茶店に弟を案内し、二人でブルーマウンテンを飲んだ。弟は女を眩しげに何時までも見つめていた。
あたい、相変わらずの踊り子暮らしだが、弟が帰った後、お姉さんのスタジオを手伝って、弟と暮らしてもいいなと思ってる。あたいの男を見る目は狂っていないもの。
(おわり)
ジョニーへの伝言・教会へ行く 高橋真梨子 (どなたかありがとうございま)
http://www.youtube.com/watch?v=pm43Hl3e8TE&feature=related
序章
一発のこもった銃声が響いた。暗い海の浜辺に打ち付けられた波がかすかに白い。銃声の後、三人の男が無言のまま走り、一人が先に、二人が倒れた男の腕をそれぞれ掴み、先に走る男の後を追った。三人の男達の姿はたちまち浜辺の海の闇のなかに消えた。
あたいはめったに股など開きはしないの。少女のころ、15のときに、暴走族に回された。その酷い経験から、セックスなどこりごり、思い出したくもないの、今でも、時々、手首を切りたくなる。だけど時には股を開く。それは、男として素敵な人だけ。あたいの感性は間違っていないと思う。
起章
喫茶店は無口な独り者の男がやっている。めったに喋りはしない。女が一人座っていたが、後から、女の連れの弟がやって来て、これも黙って女の向かいの席に座った。独り者の男は思った。二人は誰かを待っているようだ。男が、弟のコーヒーを運ぶと、「錠二もくるのか」と聞いた。「そうなの」と女が見上げて微笑みながら男に言った。男はその笑顔にいつも癒されている。
あたい、田舎から横浜に出て、先輩のお姉さんが好きだったこともあって、何時しかコーヒーが好きになった。食事やお酒の後にこの琥珀色の飲みものは欠かせない。錠二の弟のブルーマウンテンの匂いが漂ってきて、素敵と思った。錠二とこの街に来て、1ヶ月が経つだろうか。錠二も同級生のマスターも弟もいい男だと思っている。
承章
やってきた弟は思っている。兄貴はいい女を掴んだもんだと、俺も、こんな女なら結婚して何時まも一緒に暮らしたい、と。弟は女に言った、「兄ちゃんになにかあったのだろうか」、昨夜、電話があってここで待つように言われた、と。女は、錠二から頼まれていた茶封筒を弟に渡した。女は封筒の中の物を知っていた。通帳と印鑑と読んではいないが書置きだ。
あたいも何にか気がかりだ、この1ヶ月本当に幸せだった。なんだろう。私にも通帳と印鑑が渡され、通帳の金額は半端なものではなかった。そして、名義はあたいの本名になっていたのだ。そして、街を出るつもりで、この喫茶店、「荒波」で待て、との書置きだあったのだ。昨夜は錠二とのことで我を忘れて、朝、目覚めると錠二は部屋に居なかったのだ。
転章
弟は再び言った。「兄ちゃんになにかあったのだろうか」と、通帳を見てびっくりして、女の顔を思わず見た。その後、書置きを見ると、「マスター後から時計をもってくるからね」、とも言った。男は「形見みたいな言い方をするな」、と言ったが、なにやら納得し、うなずいて、ブランデーコップに磨きを入れていた。女は愉快な笑い声を立てた。弟は女にそっと言った。「部屋のものは俺が始末するから」と。
あたいも、笑っている場合ではない。何か気がかりだ。錠二のことは深くは知らないが、初めてではないにしても、あたいを心から愛してくれていた筈だ。間違いない。PTSD持ちのあたいの感性が、許したのだから。錠二は本当の男なのだ。錠二とあたいのこの街の1ヶ月は、男と女が本当に愛し合った確かな1ヶ月なのだ。あたいの幼いころのあのことの経験の後は、男についての感性は用心深くいつも研ぎ澄まされいる。
結章
暗闇の浜辺で先に走っていた一人の男は、ボートを手繰り寄せると二人が来るのを待った。ボートの中にはコンクリートブロックや針金などが用意されていた。異様なほどに幾つものコンクリートブロックがくくりつけられた男の死体が船べりまで押し上げられ黒い海に捨てられた。「野郎の車のキーは持っているな」男の一人が確認した。しばらくすると海岸まで迫っている松林の中で車が燃え上がり、別の1台の車が走り去った。
あたい横浜まで帰ったの。お姉さんに頼んで、また、バックダンサーでの毎日を過ごしている。「馬鹿ね、だから言ったでしょ、あんな男に引っかかって」とお姉さんは言ったが、あたいをよろこんで迎えてくれた。お姉さんは踊り子というよりは、才能豊かな振り付のアーテストだ。だが、男運に恵まれていない。そして、あたいの方が、男の胡散臭さをかぎ分ける感性は確かだ。
終章
弟が横浜まで尋ねて来て女に言った。「お兄ちゃんの車が新宿の歌舞伎町で見つかった」のだと。女は、昼の舞台が跳ねた幕間の時間を利用して劇場近くの喫茶店に弟を案内し、二人でブルーマウンテンを飲んだ。弟は女を眩しげに何時までも見つめていた。
あたい、相変わらずの踊り子暮らしだが、弟が帰った後、お姉さんのスタジオを手伝って、弟と暮らしてもいいなと思ってる。あたいの男を見る目は狂っていないもの。
(おわり)
ジョニーへの伝言・教会へ行く 高橋真梨子 (どなたかありがとうございま)
http://www.youtube.com/watch?v=pm43Hl3e8TE&feature=related
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