ああとにあつく!愛しのクーちゃん(1)(文学シリーズ ショート(12)

 愛しのクーちゃん(1)(文学シリーズ ショート(12)

 娘の顔には、気にはならず愛しいとも云える、黒いあざがあった。確か、横顔の左であっただろうか。幸いにも毛は生えていなかった。そして、背中の腰の上の方にもあったのだ。こちらも、確認をした記憶はないのだが毛は無かった筈だ。

 良かった、と思った。それで、私は痣をさすりながら、よかったね、というと娘は、癌のことね、と云った。親戚の娘の亭主の医者の卵が、痣に毛が生えていれば癌を疑うべきだ、と云ったことがあり、娘はそのことを承知していたのだ。

 そうだ、確かに、私と彼女は全裸でベットの上に座り込んでいたと思う。ヌーデストでもないのに。

 このような幸福感を得るために、ヌーデストの彼等や彼女らは何もかも脱ぎ捨てて丸裸になるのであろう。性行為などは超越してしまうのであろう。県人会の年賀互礼会があり、相当呑んでいたが酔っ払ってはおらず、意識は明晰であった。

 そして、この充実感は何なのだと思っていた。この瞬間、瞬間は永遠であっても良いのだ。私は満ち足りても居た。娘と言えばベッドで胡坐をかいて、かすかに陰毛も見えて、何かをしていた。何かに没頭していたのだ。手帳へ愛の言葉を書いていたのだろうか、明日のするべき事の確認をしていたのだろうか。

 私も満ち足りていた。何ともいえない幸福感の中にあって、久しぶりの充足された気分であったのだ。

 「私、クーちゃんよ」と云いながら、ビールのクーポン券を手帳の間から取り出すと私に差し出した。私は、当然だと言うようにそれを受け取り、「ありがとう」、と云ったのだ。

 確か、心理学者のフロイドは、夢とは願望の表象でもある、と言った。

 クーちゃんの花びらは、ピンクに輝いているわけでもなかったが襞などがあって、よく解からないのだが、そうそう甘いものでもなかった。一緒に風呂にも入った筈だ。腰はくびれているのだが厚みもあってある種の、時には、目にする病的な弱々しい薄さは全く無かった。

 おっぱいは小さいのだが、気にならない。たなごころにすっぽり収まってしまう。そして、固くなっていた乳首は大きくて少し黒ずんでいた。私は一度か二度吸った筈だ。

 顔はよく覚えていない、街で会っても気付かないであろう。美形でもないが醜くもない。髪の毛は長かったか、短かったか、これもよく覚えていない。まるで仮想世界のようであったが、私は明晰であったし彼女に決して恨まれてはいない、との想いがある。そうでなければクーちゃんは、何故、ビール券を私にくれたのだ。

 彼女の名前は確かに「クー」と言った筈だ。中国人かベトナム人か台湾の人なのであろう。珍しい名前であるが日本人であるかもしれない。喋っている日本語は完璧である。いずれかのか国の在日であろうか、だが、どうでもいいことだ。国籍には関係ない。ここで最も重要なことは、ベットの上で何もまとわず、二人が座り込んでいて、充足した満足感に浸ったという明晰な意識について確認を得たいのだ。

 会えるかどうかは解からないがクーちゃんに、もう一度、出会って、そして二人で風呂にも入り、ベットに座り込み、二人ともなにやらそれぞれのことをしながら、あの充実感を味わい、幸せな気分であろう、あの気分をもう一度味わいたいと思うのだ。クーちゃんにもその事の確認を取りたいのだ。

 どうしたら、愛しのクーちゃんにめぐり会えるのであろうか。

 (つづく)

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