ああとにあつく!英霊との遭遇(文学シリーズ ショート(5))

 英霊との遭遇(文学シリーズ ショート(5))

 突然サイレンがなった。遠くで何か太鼓に似た音がした。サイレンは落雷の予告であった。見る間に黒雲が空を覆い、稲妻が光り、大きな雷の音が鳴り響いた。

 8月15日の「終戦記念日」とお盆に我々はゴルフをやっていたのである。グリーン横にあった非難小屋に我々は駆け込んだ。何か不吉な予感がしていたのである。月例と云って、クラブに所属するメンバーが各級に分かれて、月に一度、優勝を争う日なのである。

 「8月15日の月例は、エントリーどうする」とTが云い、彼は否定的であったが、M1が肯定的で、別に関係はないという様な発言があって、いつものエントリー役のTが、2ヶ月前の丁度の当日にエントリーをしてくれて、我々は出かけてきたのである。

 突然、三人の男が入ってきた。別のグループであろうと気にも留めずに居たのだが、気付くと38式歩兵銃をもった旧日本軍の兵士が二人軍刀を下げた将校が1名であった。いささかくたびれている軍帽の星のマークが印象的であり、映画で見る敗残兵のようなみすぼらしさはなく、腰に締めた帯革などに乱れはなく、動作もきびきびしており、一人の兵は土砂降りの外に出て、小屋の外の警戒にあたった。

 私は、北朝鮮のゲリラでも潜入したのか、と思ったが、時代が違うと気が付いた。将校が4人を眺め回しながら言った。

 「諸君は、今日、正午に黙祷を捧げたか」と詰問口調で言った。4人の中で一番大きいM2が云った。
 
 「はい、皆で1分間、東の空に向かいやりました」と嘘をついた。私は、不味い、と思った。何しろ、彼等は生身の人間ではなさそうである。ひょっとすると嘘が判かってしまう、と思ったからだ。どうも、懸念で済んだようである。

 Tはエントリーのとき、盆を躊躇する懸念の材料にしていたのだが、M2は、12時に黙祷を捧げよう、と確実に「終戦記念日」の方にも念頭があったのである。ところが、午後のスタートは午前11時56分であったのだ。私は、完全に失念していたのである。スタートは早くなっており、M2は、心配したが皆よりは遅れてきたので、何処かで早めの黙祷を捧げたのかもしれなかった。

 一緒に黙祷を捧げれば、私も失念しなかったのに、と思ったが、将校は追及する様子はなく、「我々も捧げたところだ」と悲しげに云った。彼等は我々より若く、論理的におかしいと、考えようとすると、「師団長が自決したからだ」と続けたので、意味がわかったような気がした。

 彼等は戦死したが、大東亜戦争の敗戦が決まった日に、生き残った師団長が自決したのだ、と考えたのである。確か、記憶にあるが広島の11師団長も自決している。11師団は米軍の飛び石作戦で、犠牲は多かったが組織的には生き残った師団で記憶にあったのだ。

 私は、ミッドウエー海戦以後の大東亜戦争史は読まないことにしているのである。その後の敗戦の経緯はよく知らないのだが。

 本当の武人である多くの師団長はそうした筈である。残念であるが、止むを得ないし止めようがない。歴史とは卑怯者が書き残す事が多いのであろう。語り部と称する人々の顔の多くに「無明」をみるのはそのためであろう。この三人の兵も真っ先にかけて突撃をし、戦死をしたのであろう。

 その兵が、生き残り自決した本当の武人であった師団長のために8月15日に黙祷を捧げるというではないか、私はびくびくしながら言った。

 「死んでも死に切れませんね」将校は軍刀の塚を握り締め、鋭い眼光で私を見据えるとゆっくりうなずいた。その時、サイレンが短く鳴り、空も晴れて、雨もぴたりと止んだのである。

 小屋の中に居た兵士は脱兎のごとく小屋の外へ飛び出し、将校は悠然と室外に歩み出して消えた。

 (おわり)

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