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zoom RSS あゝとにあつく!まともな憲法論議、法哲学者西部遇先生(考察シリーズ、ツイター風ブログ)

<<   作成日時 : 2016/05/06 14:51   >>

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あゝとにあつく!まともな憲法論議、法哲学者西部遇先生(考察シリーズ、ツイター風ブログ)

 平日の午後8時からテレビは、ほとんどBSフジのプライムニュースを見る。理由は放送メディアではまともであるからだ。今までも、キャスターの助松氏の突込みを揶揄(やゆ)しただけで、偏向と書いたことはない。

 昨夜(5月5日)のテーマは大型連休中のシリーズ番組として憲法問題であった。出演者は件名の法哲学者でよいのかどうか疑問ではあるが西部遇先生で久しぶりの「西部節」を堪能した。

 先生の発言に沿っているかどうか疑問であると断っておくが、「現憲法はその成立の根源からまともなものではない。そもそも憲法は良識あるまともな国民が憲法の本質を理解して制定するものであるべきだ」でお許しいただこう。

 出演者は2名だけだが、もう一人は元法制局長官の阪田雅裕氏である。氏は元財務官僚で、失礼だが、良い悪いは別にして、西部氏とは質が違い、勿論、栄光のレインボー会、不肖今唐加太朗とも見解が違っている。

 下は、5月3日に書いた不肖今唐の記事です。未だお読みでない読者はお読み下さ。既に読んだ読者は跳ばして下さい。

 書いた理由は左翼的識者やコメンテーター及び憲法学者の一部などが憲法の機能には、「憲法とは国家権力を縛るもの」、であるのに、安部政権が勝手に解釈を変えて「安保法制」を制定した、との批判が上がっていたからである。

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あゝとにあつく!誤った憲法解釈の横行(考察シリーズ、ツィター風ブログ)

 5月2日の産経紙の正論に駒沢大学名誉教授の西修先生が「はびこる立憲主義という妖怪」で書かれているので、手持ちの憲法の本などをひもどき、ネットでフランス人権宣言などの検索をしたのだが、残念ながら「妖怪」にはお会いできなかった。

 つまり、「憲法とは国家権力を縛るもの」との勝手な、恣意の、現憲法の硬直解釈の、憲法擁護論・解釈論には出会わなかったのである。読者諸兄は、詳しくは5月2日の産経紙の正論をお読みください。

 栄光のレインボー会、不肖今唐加太朗は、何回もこのブログに書いているが「憲法第9条は、国際紛争を解決するための戦争を1項及び2項とも禁止しているだけなのである。

 なお、2項には、前項の目的を達成するとの断り書きでそのことを示し、また、「交戦権を持たない」とはジュネーブ条約などでの「捕虜となったときの保護は受けない」との解釈を取ったのである。これは、「日本丸腰論を取った」GHQ、マッカーサー占領軍司令官が居たのでやむを得ない苦渋の「策」であったのである。

 さらに、、「憲法とは国家権力を縛るもの」との勝手な、恣意の、現憲法の硬直解釈の、憲法擁護論・解釈論について、不肖今唐手的に説明すれば、憲法とは、元々、「頑迷な君主」からの奪い取った国民の権利であるから近代的解釈では自明なものとして、「憲法とは国家権力を縛るもの」との概念は、既に、超越されているのである。

 今回の再勉強で上のようなような結論を得たのである。頑迷的、短絡的な、左翼憲法学者よ、識者よ、持って銘せよ。 

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 さて、本文に戻ります。ひょっとすると西部先生の弟子かもしれませんが、5月5日の産経紙の正論に日本大学教授の先崎彰容先生が「安易な民主主義批判の危うさ(見出し)」の一文を書いております。

 先生は「民主主義を擁護するように思われる人々の中から民主主義を批判する言葉が現れた、それは「一強多弱」を覆らせそうにもないが、それには二つの原因がある、一つは選挙で投票する民衆達が「大衆化」したこと、二つは民主主義の中に独裁者を生み出す傾向があるからだ、最良の例がヒットラーを生み出した第一次世界大戦後のドイツ民主主義である、と書かれている。

 念のため注記します。上に示した、5月3日の不肖今唐の記事は、憲法とは「国家権力を縛るもの」ではなく、そこを超越した概念だとするものである。
 
 本文に戻ります。先崎彰容先生は、彼らの言い分は安部政権を独裁とみなし、民主主義は矛盾しないと言いたいものと思われる。現在の選挙制度を用いている限り、現政権を倒せない。それと同じ現象がドイツにあったという論理になろう。と書かれている。

 つまり、繰り返すが、端的に言えば、「憲法には国家権力を縛るもの」との法理などは存在しないのである。フランスの人権宣言よりアメリカの人権宣言が早く出されているが、フランスの人権宣言はアメリカのものを参考にして前文と17条からなるが、その中にはそのような総理は存在していないのである。 

 さて、誤解されたら困るので、冗長になったので終りますが、先崎彰容先生は正論の最後に、私達日本人が「民主主義という言葉をいかに状況にあわせ適当に使っているかということである」と書いております。その他の先生の論旨については、読者は5月5日の正論をお読み下さい。

 (終ります、ご機嫌よう、さようなら)
 

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